五木ひろし『母の顔』が映す懐かしさ──最後に見たあの日の背中を、今も追いかけている

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五木ひろし【あらすじ】

五木ひろし『母の顔』に導かれ、
長く離れていた故郷へ帰る主人公。
母が見せてくれた、何も言わないやさしさ──
それが今、胸を締めつける。
届かなかったありがとうが、静かに揺れる物語。


【汽車を降りた瞬間、】

汽車を降りた瞬間、
土の匂いが胸にしみた。
遠くに小さく見えた実家の屋根と、
あの日、手を振っていた母の後ろ姿。
今も忘れられない、たった一度のすれ違い。


【駅のホームに立ったのは、】

駅のホームに立ったのは、
十年ぶりだった。

東京での暮らしに追われて、
母の手紙すら、まともに読めなかった。

「元気にしてますか」
母からの文面は、いつもそれだけだった。
けれど、その一言が、
どれほど多くを語っていたのか──
今になってようやくわかる。

あの日の別れは、急だった。
大学進学を機に上京し、
「じゃあ、行くわ」とだけ言って、
振り返らずに駅へ向かった。

母は、玄関先で小さく手を振っていた。
それが、最後に見た“母の顔”だった。

実家の戸を開けると、
懐かしい味噌の香りがふわりとした。
けれど母の姿は、そこにはなかった。

数ヶ月前、
「急に倒れた」と連絡を受けた。
でも仕事が忙しいことを理由に、
すぐには帰れなかった。

ようやく休みが取れたとき、
母はもう声を出せなくなっていた。

病室で、母はただ笑った。
言葉ではなく、目で伝えようとした。
でも、俺は泣くことも、謝ることもできなかった。

「何も返せなかったな…」

声に出したら、涙が止まらなかった。

台所の引き出しに、小さな封筒があった。
開くと、見慣れた字が並んでいた。

《仕事、がんばってるか。
心配はしてない。
信じてるから。》

たったそれだけの言葉に、
何年分の想いが込められていたのだろう。

母は、強かった。
そして、やさしかった。
それを、ずっと遠ざけていた自分がいた。

今さらだが、母の前で一言、言いたかった。

「ありがとう。ごめん」


【プロローグ】

春。
駅のホームに立ち、
見送る人をぼんやり見ていた。

どこかで、
母のあの手の振り方が重なった。

ふと、ポケットの中の手紙に触れる。

“元気でな”──

今なら、素直に
手を振り返せる気がした。


【あとがき】

『母の顔』は、
静かなメロディーの中に、
大きな感情の波が隠れた楽曲です。

“言葉にできなかった想い”や、
“照れ隠しのまま離れた距離”──
多くの人が一度は感じたことのある
母への気持ちを描きたいと思いました。

読者の皆さまの心にも、
大切な「母の顔」が浮かんだなら、
この物語は役目を果たせたのだと思います。

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