千昌夫『北国の春』が語る切なさ──最後にすれ違った雪の駅で
2.【あらすじ千昌夫の『北国の春』に寄せて】
千昌夫の『北国の春』に寄せて──
帰郷の夜に交わした最後の言葉。
あの日の駅で始まらなかった再会が、
いまも胸の奥で静かに降り続けている。
3.【雪の残る駅のホームで】
雪の残る駅のホームで、
君は立ち止まったまま、
何も言わずに笑っていた。
たぶん、それがすべてだった。
4.【本文】
春のはじまりには少し早い、三月の終わり。
夜行バスを降りると、
吐く息は白く、風は骨にしみた。
駅前の時計は止まっていた。
高校生のころと変わらない町並みが、
変わらないまま、
僕を迎え入れるわけでもなく、
ただそこにあった。
八年ぶりの帰郷。
母が倒れたという知らせは、
職場の昼休みに届いた。
「大したことないから来なくていい」
父の声は相変わらずぶっきらぼうで、
それでも気づけばチケットを取っていた。
実家に着いたのは夜遅く、
母はすでに眠っていた。
いや、目を閉じたまま、
もう目を開けることはなかった。
葬儀を終えて、
親戚が三々五々帰っていくのを見送りながら、
居場所のなさに、玄関を抜け出した。
歩いたのは、無意識だった。
気づけば、駅まで来ていた。
雪が少し舞っていた。
そこに、彼女がいた。
「久しぶりだね」
声はやわらかく、
でもどこか遠かった。
「変わらないな、君は」
「変わったよ。私はこっちに残った。
あなたは、行った」
返す言葉がなかった。
「お母さんのこと、知らせてくれてありがとう」
「……来てくれて、うれしかった」
それは本音だった。
でも、それ以上が言えなかった。
「この駅、懐かしいね。
あなたが東京へ行った朝も、ここだった」
彼女は線路の向こうを見ながら言った。
あの朝のことは、
今もよく覚えている。
手紙一枚と、
言葉足らずの「行ってくる」。
あれきり、僕は帰らなかった。
手紙の返事も書かなかった。
電話も一度もしなかった。
「……待ってたんだよ」
その声は、かすれていた。
雪の音にかき消されそうなほど。
「遅すぎたな、俺」
そう言うと、彼女は笑った。
「うん。でも、来てくれてよかった」
改札が鳴った。
終電のアナウンスが静かに流れた。
「行かなきゃ」
「うん、元気で」
彼女は背を向けた。
振り返ることはなかった。
その後ろ姿を、
僕は何も言わずに見送った。
春はすぐそこまで来ていた。
でも、僕の胸の中では、
あの日の雪がまだ降っていた。
5.【後日談/余韻】
東京に戻った翌週、
久しぶりに部屋の引き出しを開けた。
奥に眠っていた白い封筒。
消印は五年前。
差出人は彼女の名前だった。
何も書かれていない便箋が、
一枚だけ入っていた。
それが、すべてを物語っていた。
【あとがき】
『北国の春』という曲を聴いたとき、
「変わらない町」と「変わってしまった関係」が
頭に浮かびました。
この物語は、
戻るタイミングを逃した人と、
待ち続けていた人の、
静かなすれ違いを描いたものです。
春が来ても、
心の中にはまだ雪が降っている。
そんな感情に覚えがある人へ、
そっと届けば嬉しいです。

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