あらすじ
「成功したら迎えに行く」その言葉を信じて、手紙を待ち続けた春。太田裕美『木綿のハンカチーフ』が映し出す、すれ違いと切なさの物語。
駅のポストに届くたび
駅のポストに届くたび、あの人の文字だけを何度もなぞった。春の風はあたたかいのに、手紙の中のあなたはどこか遠くて寒かった。
4.「行ってくるよ。必ず迎えに来るから」
「行ってくるよ。必ず迎えに来るから」
そう言って、彼は春の朝に出発した。
私は駅のホームで、ただ「うん」と頷くしかなかった。涙は見せたくなかった。夢を追う人の背中に、重たい感情を乗せたくなかった。
彼が向かったのは東京だった。私はずっと、この町に残ると決めていた。
お互いの選択に、後悔はなかったはずだった。
でも、季節が巡っても、彼からの「迎えに行くよ」という言葉だけが、時間の中で薄れていった。
最初のうちは、手紙が毎週届いた。
仕事のこと、新しいアパートのこと、駅前のうどん屋の味がこっちとは全然違うって笑い話も書いてあった。
でも、次第に手紙の間隔が開いていき、内容も変わっていった。
「今月は帰れそうにない」
「東京は忙しいけど、少しずつ認められてきたよ」
「街のイルミネーションがきれいだった」
読みながら、私は木綿のハンカチーフを膝の上で指先で折りたたんでいた。
送ってと頼まれたわけじゃないけれど、次に会うときに差し出そうと思っていた。

ある日、手紙の中に写真が同封されていた。
スーツ姿の彼が、笑っていた。隣には、名前の書かれていない女性が写っていた。
「仕事関係の人だよ」と一言添えられていたけど、私はその笑顔を知らなかった。
私の知っている彼は、もっと不器用で、笑うのが下手な人だった。
やがて、手紙は来なくなった。
代わりに、私は毎朝ポストを確認する癖がついた。
冬を越えて、また春が来た。
梅が咲いて、桜が咲いて、そして散った。
けれど、彼は戻ってこなかった。
噂で、彼が東京で誰かと結婚したと聞いた。
真偽はわからない。でも、私は確認しようとは思わなかった。
ただ、ポケットの中にそっとしまっていた木綿のハンカチーフを、もう一度畳み直した。
誰かを信じて待つというのは、時に自分をすり減らすことなのだと知った春。
でもそれでも、私はあの頃の自分を、後悔していない。
5.プロローグ
桜が咲くたび、思い出す。
ポストに届かなかった最後の手紙。
そこに書かれた「ごめん」のたった3文字は、風に飛ばされるように、今もどこかで舞っている気がする。
あとがき
『木綿のハンカチーフ』は、手紙という媒体を通じて、時間と距離、そしてすれ違いを描いた名曲です。
この物語もまた、「届かない想い」と「それでも待ち続けた日々」に寄り添う形で書かせていただきました。
今、大切な誰かと離れている人の心に、そっと触れられたら嬉しいです。

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