手をたたくたび、君を思う
「幸せなら手をたたこう」──坂本九が歌った、小さな幸せとその記憶
幼い頃の約束だった。
“幸せなときは手をたたくこと”。
それが君との合図だった。
今も心に残るその音が、
大人になった僕を動かしていく。
坂本九の名曲に込められた、
あたたかくて切ない記憶の物語。
あの日交わした約束の音が、今も胸に響いている
冬の帰り道、
手袋越しの手をたたく音がした。
その音に、僕は
君の笑顔を思い出した。
何気ないしあわせを交わした
あの日々が、胸に灯る。
手をたたくたび、君を思う
「幸せって、何だと思う?」
小学二年生の僕に、
君は突然そんなことを言った。
校庭のすみっこで、
シロツメクサを編みながら。
僕は少し考えてから、
「おやつが2個あること」
と答えた。
君は笑った。
「それもアリだね」って。
そして言ったんだ。
「でも私はね、
ちゃんと“嬉しい”って
思えた時に、
手をたたくようにしてるんだ」
その手のひらが鳴る音は、
あたたかくて、
少しくすぐったかった。
◇
それから僕たちは、
“手をたたいたら合図”という
秘密のルールを作った。
嬉しいとき、
何かがうまくいったとき。
ひとつ、手をたたく。
それにもうひとつ、返す。
誰も気づかない中で、
ふたりだけのやりとりだった。
だけど──
あの年の冬、
君は突然いなくなった。
大きな病院に行って、
そのまま学校には戻らなかった。
◇
「もう会えないかも」と、
大人たちは小さな声で話した。
意味は理解できたけど、
信じたくなかった。
最後に交わしたのは、
教室のドア越しの拍手だった。
窓越しの君が、
笑っていた。
「元気でね」
そんな口の動き。
僕は何も返せなかった。
ただ、涙が出た。
◇
季節は過ぎて、
中学生、高校生になり、
君の顔も思い出も、
少しずつ薄れていった。
でも、たまにふと、
音がする。
どこかで誰かが、
嬉しそうに手をたたく音。
そのたびに、胸がぎゅっとなる。
あの時の匂いと、
小さな白い花と、
あの拍手の約束を思い出す。
◇
大学生になった僕は、
教育実習で小学校に戻った。
たまたま担当になったクラス。
その日、音楽の授業で、
あの曲が流れた。
──幸せなら手をたたこう。
子どもたちが楽しそうに、
手をたたいていた。
その音に、僕は泣きそうになった。
涙がこぼれる前に、
そっと一回、手をたたいた。
それは、君への返事だった。
“ちゃんと覚えてるよ”って。
“ありがとう”って。
後日談/余韻
手をたたく理由が、今も胸にある
その後、教師になった僕は、
子どもたちと音楽室で、
何度もこの曲を歌った。
──幸せなら手をたたこう。
その一節を聴くたびに、
あの日の拍手がよみがえる。
今の子どもたちは知らない。
あの秘密のルールも、
シロツメクサの冠も。
でも、たとえ言葉にしなくても、
音にのせて、想いは届く。
今日も誰かが手をたたく。
その音が教えてくれる。
「ここに、幸せがあるよ」と。
あとがき
拍手という“しるし”を、心に残す物語を
坂本九さんの「幸せなら手をたたこう」は、
シンプルで明るい曲調ながら、
どこか懐かしく、
心にしみる温かさがあります。
この短編は、その裏側にある
“静かな想いの交換”を描きました。
「しあわせ」のかたちは見えないけれど、
それを示す合図としての拍手。
大人になっても忘れられない、
大切な人との合図──
それがこの物語の核です。
もし今、誰かと喜びを分かち合えるなら。
一度だけでも、手をたたいてみてください。
その音が、誰かの記憶の中で、
静かに響くかもしれません。

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