「北島三郎『祭り』が呼び起こす懐かしさ──提灯の下で交わした約束」

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太鼓の音に、止まっていた時間が動き出す

北島三郎「祭り」に込められた魂と情景をもとに描く物語。
十年ぶりに故郷の夏祭りへ
戻ってきた直哉。そこには
変わらぬ風景と、遠い日に
別れを告げた幼なじみの記憶。
太鼓の音に胸が騒ぎ出す──
あの夏の続きを、もう一度。

赤い提灯が揺れたとき、記憶も揺れた。

赤い提灯が風に揺れ
遠くから笛の音が届く。
胸の奥がじわりと熱くなる。
十年前と同じ夏の匂いが
この町には、まだ残っていた。

 

笛の音が戻す夏
参道の石畳を踏みしめ
直哉はゆっくりと歩いた。
浴衣姿の子どもたちが
はしゃぎながら駆け抜けていく。

境内では太鼓が鳴り響き、
昔と変わらぬ風景が広がる。
けれど、そこに彼女の姿はない。

「帰ってきたんだな、直哉」

振り向くと、陽介がいた。
少年時代、毎日のように
山を駆け回った親友だった。

「久しぶりだな」
「十年ぶりか」
「……そうだな」

言葉がうまく出てこない。
陽介は缶ビールを片手に
目を細めて夜空を見上げた。

「祭りの日に帰ってくるとは」
「律儀なやつだ、お前は」

そう言って笑った陽介の
その顔に、あの頃の面影が重なる。

「美咲は、元気にしてるか?」

思わず聞いたその名前に
陽介は少し、目を伏せた。

「……去年、町を出たよ」
「東京に行ったらしい」

やっぱり、という気持ちと
遅すぎた、という後悔が同時に来た。

太鼓の音が一段と大きくなる。
町が、一年で一番賑やかになる夜。

そして同時に、
一番、寂しくなる夜でもあった。

 

笛の音が戻す夏

花火の音が遠くで響いた。
夜空に咲いた一瞬の光に
子どもたちの歓声が重なる

直哉は、ゆっくりと息を吐いた。
この町を離れた理由。
そして、戻ってきた理由。

どちらも、彼女の名前が
胸の奥に刻まれていた。

「……美咲、手紙くれてたよな」

陽介がぽつりと口にした。
「読んでくれたか?」

直哉は首を横に振った。

「封も、開けなかった」

陽介は、何も言わなかった。
けれどその沈黙が、
すべてを語っている気がした。

直哉は神社の階段を上がり
小さな祠の前で立ち止まる。

そこで、思い出した。
十七の夏。

祭りの喧騒から抜け出し
この場所で彼女と交わした
小さな約束。

「東京に出たら、
ちゃんと迎えに来てね」

美咲はそう言って笑った。
直哉はうなずいた。
でも――迎えに行かなかった。

「臆病だったんだよな」
自分の声が、やけに遠く響いた。

陽介が、そっと横に立った。

「美咲、まだあの約束、
忘れてなかったと思う」

「最後に飲んだ夜、言ってた」
『直哉くんは、帰ってくる』って。

もう、あの頃には戻れない。
けれど、思い出は消えない。

祭りの灯りの中で、
人の心は何度でも揺れる。

遠くで、また花火が上がった。
今度は少し、長く夜空に残った。

「なぁ陽介、俺……
この町に戻ろうと思う」

「いいじゃねぇか」
「そしたらまた一緒に、
山車ひけるな」

陽介が笑う。
その笑顔が、まるで
昔に戻ったみたいで、少し泣きそうになった。

誰もがそれぞれの夏を生きて、
誰もが何かを置いて、
それでも、こうして
祭りの夜に帰ってくる。

変わっていくものもある。
けれど、変わらないものもある。

直哉は、手を合わせた。
心の中で、美咲の名前を呼んだ。

そして、小さく呟いた。

「ありがとう」

提灯が、夜風に揺れていた。

──終わり──

 

笛の音が戻す夏(後日談)
夏が終わり、秋が来た。
境内の木々は少しずつ
赤や黄色に色づき始めていた。

直哉は町に部屋を借りた。
古びたアパートの二階、
線路沿いで、夜になると
遠くに汽車の音が聞こえた。

朝は豆腐屋のラジオが鳴り、
夕方には子どもたちの声が響く。

町の音は、いつだって優しかった。

祭りのあと、陽介が声をかけてくれた。
「来年、一緒に担ごうな」

地元の青年団に入る話も
商店街の手伝いも、気づけば
自然と話が進んでいった。

不思議と、違和感はなかった。
この町は、
ちゃんと自分の居場所を
残していてくれたんだと気づいた。

ある日、駅前の古本屋で
見覚えのある便箋を見つけた。
あの夏、美咲が送ってくれた手紙。
開けなかった封筒が一通、
本の間に紛れていた。

指先が震える。
静かに封を開ける。

《元気ですか?
私は元気です。
でもちょっと、さみしいです》

子どもみたいな字で書かれた
その一文だけで、
涙がこぼれそうになった。

《直哉くんは、きっと
帰ってくるって信じてます》

《だから、私はこの町を
好きでいようと思います》

その言葉に、胸の奥が温かくなった。

手紙の最後には、こうあった。

《戻ってきたら、
また一緒に祭りを歩こうね》

もうその約束は叶わない。
けれど、約束があったから
自分はここに戻ってこれた。

直哉は、手紙を胸ポケットにしまい
駅の階段を降りていった。

今日も太陽が眩しかった。
町の風が、背中を押していた。

──ほんとうの帰郷は、
きっと、そこから始まる。

──完──

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